読書:『ピーター流外国語習得術』

Twitterでベトナム語についてツイートしている人たちをフォローしていると、この本『ピーター流外国語習得術』を読み返そうと思っていると呟いているのを見て、私も読んでみたいと思った。

読み進める

早速『駿河屋』で注文した。一週間後に到着。

第一章『僕の外国語遍歴』

著者は多数の言語が喋られるハンガリー人でドイツ語から始めてロシア語、スウェーデン語、フランス語、英語、スペイン語と学習の経緯が記されている。
そしてまとめとして語学習得のコツが記載されている。
ここで一番感銘を受けたと言うか共感したのは今学習している言語に集中することという一文。
こんなにたくさんの言語を喋られる人でも新しい言語を学習する時はその言語だけに集中することが必要であると述べている。
実際、私は以前ベトナム語と英語を並行して何年も学習していたのだけど、集中できないから頭の中が散漫として全く上達しなかったという経験があり、最近はベトナム語のみに集中するようになったらぐっと上達し始めたと感じている。
他にもいくつかの学習のコツが記されているが、上記の集中すること以上に重要だと思えるようなことは無い。ドイツ語習得の過程に記されている単語の丸暗記は良くないというのはその通りだとは思った。

第二章『外国語を学ぶ目的とは』

この章は外国語が使えることによるメリットがいろいろと書かれている。
特に外国語がわかれば海外のニュースを見ることが出来て、国内では報道されない情報に触れることが出来るようになるので国内向けの一面的な視点から開放されるという部分に重点が置かれているように見える。
しかし、そこで語られている例が南京事件についてを中国側の視点でみるというような偏った見方が紹介されており多角的に見ることが出来るはずなのに著者の基本的な姿勢によって情報を中立的に見ることが出来ておらず残念な内容になっている。

第三章『語学の才能って何?』

外国語の上達には母語の語彙が多いほどよいというのは参考になるかも。
基本的に語学に特別な才能は無いという形で終わっているがそこまでの内容は様々な事例で散漫としている。

第四章『ぼくの体験的記憶術』

『すぐ使ってみる』は覚えた単語をホコリに見立てて落ちてしまう前に使って定着させるという事。
『自分の単語帳をつくる』はそのまんま。
『同じグループの単語は同じ引き出しの中に』は共通項のある単語はまとめて覚える事で、覚えやすく、思い出すときも一つの単語を思い出せば芋づる式に思い出せるという内容。ただ、この節の例はちょっとわかりづらい。
中国語の四声調を例にマー、マア、マーア、マァ、マといった声調によって意味の変わる言葉をまとめて覚えると良いと記載した後に色に関する単語はまとめて覚えたほうが良いという例が出てきて、読んでいるこちらは混乱する。
ベトナム語の場合六声調なので、ma(お化け),mà(しかし),má(母),mả(墓),mã(馬),mạ(苗)の意味をまとめて覚えたほうが良いという事になるのだろうけど、それとは別にmàu đỏ(赤),màu xanh(青)といったグループでも覚えたほうが良いらしい。
ちょっと疑問。

第五章『時間の有効活用方法』

日常の通勤・通学の際に頭の中で目に入るものを学習言語で実況するというのは面白く実践したくなった。
あとは、学生なら運動部に入るのはやめようとか、大人なら食事会や酒は時間がかかるからなるべくやめようといった学習に割り当てる時間を増やそうという内容。

第六章『やめてほしい日本人の間違い』

『翻訳はやめよう』という節があり、ある状況を日本語で捉えて、それを学習言語の言葉に翻訳して考えるというのは良くないという事。
似た意味の言葉はあっても異なる言語に全く同じ意味の単語は存在しないので翻訳して考えずに見たものをその言語で捉えることが必要だと説いている。
まぁ、そうなのだろうと思う。
『カタカナは害』とか『日本人で固まるな』とか、まぁその通りだなと思うことが記されている。
『無理して難しいことを言うのは逆効果』は参考になる内容だった。
自分の出来る範囲の言葉でシンプルに表現すればよく、母語である日本語と同等の事を表現しようとするとうまく出来ず挫折のもとになるという。

第七章『日本語を磨こう』

自分の意見をはっきり言うようにしたり、討論したりすることによって日本語力を上げたほうが良いという内容
第三章の外国語の語彙を増やすにはまず母語の語彙を増やさないと理解できないというのと繋がっている内容

第八章『国際人になるために』

『国家と国民の違い』といった観点でいろいろな事例が記されているのだが、ハンガリー生まれという経緯から形成されたであろう国家に対する極端なものの見方が全体的にこの章の内容を客観性のないものにしており残念である
著者が国家に属するのではなく自由に考えるべきだと主張するのはとても良くわかるのだが、著者自身が国家に属さないという意識に囚われてしまっており自由で客観的な思考が出来なくなっているようだ。

まとめ

自分がまさにベトナム語にちゃんと向き合おうとしていたタイミングだったので12もの外国語を習得した人の体験談は興味があり、実際参考になったり面白いところはいろいろあった。
著者の思想や思い込みによる断定的な記述は客観性に欠けるが、そういう箇所については書いてあることをそのまま信じ込んだりしないほうが良い。
この本を最後まで読んでみて、さらにベトナム語学習の意欲が湧いてきたのだから読んで良かったと言えるであろう。

コメント

このブログの人気の投稿

Googleスプレッドシートの正規表現置換で改行文字

Googleスプレッドシートのimportxml関数をhtmlに使う

名作と定評のあるスーパーファミコンの『ザ・モノポリーゲーム2』を今更ながら遊んでみた