『ごっつ三国』追加される要素と変わり続けるバランス、そして……
最近、三国志ゲームアプリ『ごっつ三国』に西遊記のメインキャラが追加された。お馴染みの孫悟空、猪八戒、沙悟浄、そして三蔵である。
まだ追加されたばかりなので対戦したことは一度もなく、バランスなどコメントは出来ないが、三国志ゲームアプリに西遊記を追加するのはギリギリセーフか微妙なところ。
初期に全然関係ないゲームとのコラボキャラが追加されたことがあったが、違和感ありすぎて不快であった。
以後は三国志の中でよく故事として引用される三国志より過去の時代の有名人物が追加されていた。
これは三国志(歴史書)をよく読んでいれば違和感の無い追加キャラであった。
今回の西遊記キャラは舞台設定は唐の時代であるから三国志よりずっと後の時代であり、そもそも歴史に基づいていない明の時代に創作された小説であるので違和感はある。
それ故に、「神話」枠への追加となっている。
バランスの変化
新しいキャラが追加されたり、新しい伝承キャラが追加されると、目新しく使ってみたいと思わせるために今までのキャラには無い新しい要素が加わったり、少し数値が強くなっているようだ。
そして既存キャラもバランス調整が入り、ゲームのバランスは変わり続ける。
少し前、自分の主力を異民族に戻して祝融と花鬘の伝承によって以前より勝てるようになっていた。
もうよく覚えていないが国家戦で300位以下だった順位は最高で74位まで上昇した。
しかし、最近になって司馬懿、賈詡、周瑜、諸葛亮の伝承キャラが追加された事で、状況は一変しそれらのキャラが入った編成にほぼ勝てなくなった。(司馬懿は未対戦)
国家戦の順位はずるずると下降し110位程度まで後退した。
伝承という仕組みはそのキャラの育成をやり直さなければならない。
付けていた装備は外せないので新たに装備しなければならない。属性の精髄もやり直し、能力の実もやり直し。スキルもやり直し。
これは結構な負担だと思うのだけど、上位陣はあっという間に伝承キャラに切り替わっていく。
その様を見ていると上位は育成のやり直しをものともしないくらい課金しているのだろうなと感じる。
私は常にマイペースで週500円の珈琲☕一杯課金しかしないので、そのような育成のやり直しには基本的に対応できない。
はっきりしたことは言えないけども、アクセサリーの上限があがったり、育成要素はさらに追加されており、重課金者との差は開くばかりで、国家戦や大将戦で一位を取る日は来ないように思える。
昔からあるパッケージソフトと違って、昨今のこうしたゲームでは明確な終わりというものが無いのでプレイヤーが飽きないように要素は追加され続けるし、バランス調整は定期的に行われる。
その結果勝てるようになったと思ってもしばらくすれば勝てなくなる。
それは仕方がないことなのかもしれない。
しかし、最近国家戦を対戦していて、蜀の編成がやけに多いなと感じている。
それも三国演義での主役キャラ中心の編成、劉備、関羽、張飛に諸葛亮と趙雲+誰か一人。
この編成の人が多いって事はいくつかの事実を浮き彫りにしている。
数十年前と比べれば魏や呉が好きな人が増えたとはいえ、未だに劉備を中心とした演義のメインメンバーに感情移入する人たちがたくさんいるということがひとつ。
そして、もうひとつ、多くのユーザーが利用する結果、このメンバーたちはユーザーの期待を裏切らないようにバランス調整がなされており、浮き沈みはあっても酷く落ち込むことはないという事。
なんとなくこのメンバーを揃えておけば勝てるという状況が作られている。
演義に興味がなく、歴史上の重要人物を自分の好みで編成したとする。
そういう事が出来るのが多くのキャラから好きなキャラを選べるゲームシステムの良いところのはずだが、それで対戦で勝てるのかというと勝てない気がする。
相性があるゲームだから相性を考えて編成を考える必要があり、好きなキャラを並べたからといって勝てるわけもないのだけど、勝てる編成を必死になって考えて作って勝てるようになったとしてもバランス調整が入ればお終い。利用者の多くない編成に救いの手は出されない。
私は以前、于禁(R)中心の編成を育成していたが、以前の記事で記したようにバランス調整が入り、急に劉備と張飛が入った編成に勝てなくなった。
今となっては対戦では利用しない完全な控えキャラとなってしまった。
こうした事実の積み重ねは徐々に、やる気を失わせていく。
そして……
気づいてしまった。
演義メンバーの優遇は『ごっつ三国』にとどまるものではないという事を。
いや、以前から知っていたのだけど、バランス調整という事実を体感してしまった今、他の三国志をテーマとしたゲームをプレイしたとしても同じような調整を行われてしまうのではないかと思ってしまう。
昔のSLG光栄の三國志でも演義メンバー優遇はあった。
というか、あの初代三國志は演義では大して活躍していない張昭のパラメーターがやたらと高かったりして、歴史を意識したものではあったのだけど、演義で活躍する人物は特別扱いの高数値となっていた。
でも、今のようにオンラインで対戦するわけでもないから自分の好みのメンバーを集めて勝つのは簡単に出来た。
現代のようにオンラインで他のプレイヤーと対決するシステムでは優遇されたキャラに不遇なキャラで勝利するのは困難である。
優遇されない好きなキャラを選んで戦うという事がどれほど苦痛に満ちたものであるかは『ごっつ三国』で十分体感した。
演義をベースとした作品が未だに大手を振って作られるのであるから、演義のメインメンバーを優遇するのは仕方がない事なのだろう。
しかし、演義をベースとした映画やドラマ等を観ると不快でたまらないのもまた事実である。
演義のメインメンバーが優遇されたゲームを遊ぶのも不快極まりない。
映画やドラマ等の物語には主人公がいる。しかしゲームでは自分の好きなキャラを選ぶことが出来る。
ゲームの世界では物語より公平で様々な視点で遊ぶことが出来ると思っていた。
でも、『ごっつ三国』はそうではないと教えてくれた。
コメント
コメントを投稿