Twitter#2



 前回Twitterについて記したが、構成をまともに考えずに勢いでまとめてしまった。

その結果、記そうと思っていた本題が抜けていたことに書き終わってから気がついた。

本題はもっと個人的な事、Twitterの運用がうまくいかない事である。





Twitter運用の現状について、記す。
現状のツイートの大半がベトナム語についてであり、他には飲食について写真付きでつぶやくことがある程度。時折ゲームについてつぶやくこともある。

それで、何がうまくいっていないのかというと、ツイートしてもほとんど誰も反応がないことである。
しかし、それはある意味当然でもある。
何故、当然なのか?
それを説明するためには経緯を説明する必要がある。
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Twitterの経緯

自分のTwitterアカウントは作成当初は明確な目的もなく実名で作成し、ほとんど運用しない状態が続いていた。
5年ほど前に、ゲームについて思うことをつぶやいたらどうなるのかなという検証を開始した。
ついでに三国志のゲームならゲームの出来事について歴史との相違点などをいろいろつぶやいたら面白いのではないかと思って試すことにした。
それなら過去の三国志関連の著作と紐づけた方が良いのではないかと思い、ニックネームとは別にカッコ付きでペンネームも併記するようにした。
そうした行動を始めて見ると、ゲームに関連する発言を行い、ハッシュタグを付けることで「いいね」が多くつくようになり、フォローしてくれる人をフォローバックすることでプラスの循環が始まった。
ゲームに関するツイートはコメントも付くようになった。
逆にゲームに関するツイートにコメントするようにもなった。
フォローした人がゲームとは関係ないツイートをした場合でも気が合う内容にはコメントするようになった。
Twitter世界がどんどん広がっていくように感じた。

しかし、そういう順調な拡大は長く続かなかった。
そのゲーム(ごっつ三国)のプレイを辞める人も徐々に増えていった。
同じ趣味で相互フォローとなった人たちの中で、多くの人が元々の接点を失っていく。
また、自分自身も同じことをつぶやくのには抵抗があり、同じゲームを遊んでいる以上新しい話題をつぶやくのが難しくなっていった。
それに、三国志関連のゲームだから、三国志的なコメントをするという試みも始めはうまくいっているよう感じたが、やはり似たような事を何度も発言するのは気が引く。
世の中の多くの人が持っている三国志の世界観と、私がずっと調べて記してきた歴史的事実には多くの隔たりがあり、その隔たりを説明しわかってもらえない時には虚しさを感じていた。
いつしか、三国志についてのツイートをしなくなっていた。
自分の目の前に広がるTwitter世界は急激に色あせ縮小していくようでもあった。
そうした中でそういう状況をさらに悪化させる行為を自分が行い始めた。
ベトナム語の学習内容を毎日ツイートするようにしたのである。
ほとんど誰も反応がなかったが、学習記録として毎日ツイートを続けた。
その結果、自分のツイートにいいねはほとんど付かなくなった。
まぁ、同じゲームを遊んでいるという理由で相互フォローを増やしていたのだから、突然ベトナム語のツイートをしても誰も反応しないのは当然である。
ベトナム語のツイートに反応しないどころか、おそらくは他のツイートにも悪影響を与えたと思われる。
つまり、自分の興味がないことばかりつぶやくアカウントと判定した人がミュートしたりフォロー解除をしたりしたとしてもおかしくない。むしろ自然である。
結果、私は荒野に一人立ってぼそぼそと小声でつぶやくような状況となった。
誰も聞いていないただの独り言である。
炎上とは縁遠いが、虚しさは広がっていく。



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その後、どうしたのかというと、そのまま突き進んだ。
無人の荒野をつぶやき続けた。
それで何か変わったのかというと、少し変わった。
ツイートしてもほとんど反応が無いのは相変わらずだったが、多少は反応がある事もあった。
ベトナム語の仲間が少し生まれた。

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以上が過去の経緯による現状となる。

現在の問題点

客観的にみて、今の自分のTwitterアカウントは見た目とツイート内容に大きな乖離がある。
ツイッターアイコンが「ごっつ三国」の于禁将軍を加工したものとなっている。
いかにもゲームについてつぶやきそうだ。
しかし、実際につぶやくのはベトナム語についてばかり。
フォローした人の期待を裏切っている。
背景画像も「ごっつ三国」のクリエイターとして表彰された時のものであるから、ベトナム語という感じはしない。
ツイートのポリシーにも実は問題がある。
私はTwitterにおいて個人的なことをほとんど記さない。家族構成とか仕事の詳細な内容とか、そういう情報が見えないようにしている。
これはFacebookとの棲み分けというところもあり、知り合い同士のコミュニケーションを主体とするFacebookでは個人的なことを中心として投稿し、Twitterは逆に個人的なことは避けている。
だが、個人的な情報が抜け落ちているということは共感、感情移入がしづらいという事を意味している。
自分がフォローしている人たちのつぶやきを見ると自分の本名とか個人を特定する情報こそ避けているものの、子供が何歳であるとか、旦那がベトナム人でこんな感じであるとか、日々の出来事をそれこそ克明につぶやいており、それだからこそこちらも感情移入してコメントをしたくなる。
私のツイートにはそういう感情移入させる要素がない。
だから荒野に一人立っているように感じるのであろう。
私が自分の立場を伏せている理由は三国志関連の著者としてペンネームを併記している事が要因である。
著者がどんな人なのかは詳細までわからないほうが想像の余地があって良いのではないかと思ったからである。
そうした著者としての立場が一つの足かせとなっている。
現状の、三国志関連のツイートをほとんどしない状況であるならペンネームの併記をやめ、著作とは切り離した上でベトナム、ベトナム語中心で日常の出来事をそのままストレートにつぶやくアカウントへとチェンジしたほうが良いのだろうと思う。
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だけども、切り替えるのにはちょっと勇気が要る。

なんでも変化させるにはエネルギーが必要だ。

もう少し考えてからアカウント運用の方針を定めたい。

運用方針変更は保留とする。

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