ランダム・ダイス(Random Dice) その後

二週間、毎日遊んでいたが、バタッと遊ばなくなった。
あれ? 面白いのになんで遊ばなくなったのかな?
ふとそう思った。
その時はなんとなく遊びたいと思えなかったからだったのだけど、後から考えると、疲れてしまうからだとわかった。
ランダム・ダイスは面白いんだけど、のんびり眺めるのではなく、常に操作しなければならない。
私はゲームを遊ぶ時、よく酒を飲みながらが多いのだけど、酒を飲みながらだと酒が進まない。とにかくずっと操作しているから。
また酒を飲んでいると理性が少し弱まるので何度も何度も対戦を繰り返してしまう。
すると時間は過ぎるし、疲労するし、結果睡眠時間も減る。
二週間を過ぎた辺りでバタッとやる気が出てこなくなったのは疲れてしまったからだった。
結局の所、仕事して、ベトナム語の学習して、という生活のリズムの中で息抜きの酒を飲む時間はとても重要で、その時間に必死になって遊んでたらそりゃ体調に良くない。
同じタワーディフェンスのPlants vs zombiesでも、自分が一番好きなのは始めに布陣を決めたら後は眺めるだけのステージだった。
自分の考えた布陣がどれだけの成果を出せるのか、それを眺めるのが楽しくてしょうがなかった。
面白いと思っているのにプレイしないというのも不思議な感じだけど、生活のリズムに合わないゲームというのがあるという事を知った。
知ることが出来てよかったとも思う。
前回の記事で書いたとおり協力モードをこなさないとダイスを強化出来ないが、協力モードに時間がかかることも起動を躊躇う理由の一つだった。
もう一つ理由を考えると、キャラクターがただのダイス、サイコロであり、キャラクター性が無いことから感情移入という付加価値がなかった事もあっさりとプレイしなくなった理由になるだろうか。
三国志をテーマにしたゲームであれば、人物の扱いなどについてコラムを書いたりする事が出来るためゲーム性以外の部分でも考察で来る。そうした要素は無かった。
まぁそうした感情移入要素がゲームに必ず必要かと問われれば、「そうではない」と返答する。
昔、テトリスに熱中した時、付加価値的な感情移入要素など無くても楽しめることは証明されている。
言えることは、時間は常に有限であり、常に選択を迫られる。
選択をしないこともまた、選択である。
当たり前の事ではあるけど、私のように何かにこだわってしまうと、そこに多くの時間を割いてしまう人間には選択と集中がとても重要になってくる。
面白いゲームを遊ぶことは良いことだけど、時間は有限なのだからゲームにばかり時間を使うわけにもいかない。
私も大人になったのだなと随分年をとってから今更のように思う。
このブログを書いているうちに、久しぶりにPlants VS Zombiesを遊び直してみたくなった。

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